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そして彼は去っていった
2005年12月27日 (火) | 編集 |
激戦のJ2で3位を決定し、柏との入れ替え戦を控えた2005.12.5。
クラブから来期契約非継続選手が発表された。

その中に彼の名前があった。

彼が甲府にもたらしたものを振り返ろう。
2003.6.6 彼の甲府への入団は最大級の驚きをもって迎えられた。
一時期の存続問題は解消しつつあるとはいえ、J2の弱小クラブへ「元日本代表」が加入したのだ。
その当時、ヴァンフォーレ甲府に興味を持つことがほとんどなかった山梨県民には、
この「元日本代表」という肩書きをもつ彼の入団は大きなニュースであった。

彼は2005.6.14、アビスパ福岡戦にフル出場しヘディングで初得点を決め、
甲府の勝利に貢献した。
2003年はフル24、途中交代2、途中出場1と活躍。68本のシュートを放ち10得点であった。
チームは過去最高の5位となった。

彼の名前に惹かれて小瀬を訪れた観客の多くは、彼のプレイに魅了されたことだろう。
このことは小瀬でのホームゲームへの観客動員数を見ると明らかである。

彼が入団する以前、2002年はホーム22試合で平均4914人。
2003年も彼が入団する前のホーム8試合は平均4297人。
しかし、彼が入団後のホーム13試合は平均6161人と平均で1864人も増加した。
(アルウィンでの13043人入場したゲームは除外して計算)
続く2004年にもホーム平均入場者数は6370人と、約2000人の動員増をもたらした。

彼はチームのなかで自らのプレイを押し通すことで、
チーム全体のレベルアップをもたらした。
正直、彼が来るまでの甲府ではボールを回して攻撃するということは、
あまり見たことがなかった。(書いていて恥ずかしくなるが、、、)
入団から間もない試合で、彼がじれったくも「しかたがない」というように、
諦めの表情を示すことを何度か見た。

2004年には彼がチームにではなく、チームが彼にフィットしてきた。
彼はフル31、途中交代4、途中出場5とチームの主軸として活躍。
40試合3150分出場し71シュート6得点であった。
チームは19節にチーム発足以来初の2位となると、
28節までJ1昇格が狙える2位~3位をキープした。

最終的には、7位で2004年シーズンを終えたが、
まさに「夢」であったJ1昇格が「現実的な目標」となったことで、
小瀬をJ1規格のスタジアムへと改修することとなった。
しかし、彼を甲府に呼び寄せた松永監督は甲府を離れた。

2005年、3年ぶりに復帰した大木監督のもとで、シーズン当初は
FWとして起用された彼であったが、新しい外国人FWバレーとのコンビには
適していなかった。
より運動量があり、スペースへ飛び出し、ボールを追えるFWとして、
長谷川太郎がピックアップされ、彼の出場機会は少なくなっていった。
特にこれまでの4-4-2から4-3-3へシステムを変更してからは、
先発にバレー、長谷川、スーパーサブとして須藤でFWの枠は埋まり、
控えにすら入れない日々が続いた。

そのころの彼のインタビュー

Q:試合からは遠ざかっていますがモチベーションを保つのはどうですか?

 大変ですね。いろいろ考えるし、言いたくなる事もある。でもさっきと一緒です。止まってしまったら何もないし、ぼくのやることは決められていて、今も自分自身うまくなりたい。この年になってもね。で何をするかというと普段からいろんなものを鍛えていかないとならないし、高みを目指してやっていかないといけない。そうしないと何も残らない。いじけるだけだったら誰でもできる。ただ、それだと下がっていくしかない。そういうしょうもない事はしたくない。ぼくは監督の下の駒の一つとしてやるだけ。こういう状況でもグランドに入ればやることは一つですからね。だからモチベーション的にきついと言っても、やることは変わらないと思っている。それを披露する場がないだけでね。



出場機会に恵まれないなかで、控えチームの一員として率先して練習に参加する彼の姿から
甲府の選手たちは多くのものを学んだことだろう。

結局2005年、彼は第1クールにフル1、途中交代5とわずか6試合(控え2)
第2クールは控えにすら入らず、第3クールは控え3回のみ、
第4クールでも途中出場2回のみであった(控え1)。
8試合447分、シュート10本得点2で彼は甲府最後のシーズンを終えた。

ここに1つのゲートフラッグがある。
今シーズン彼の活躍を祈って作ったものだ。
だがこのゲートフラッグを作ってから彼の出場機会は失われた。

34節、小瀬での横浜FC戦。膠着した状況を打破するべく、
彼は84分に投入された。
このときに起きた観客のどよめき、彼の名を呼ぶサポーターの声はすごいものだった。

彼はいつものとおりプレイしていた。
ボール捌きのうまさはやはりチーム一だった。
だが、彼に与えられた時間は短すぎた。
やっと掲げることができたゲートフラッグだが、
これが最初で最後の機会となってしまった。

甲府をあらゆる面で「引き上げてくれた」男。
まさに"King of Kofu"の名にふさわしい男。
彼の入団なくして甲府のJ1昇格はありえなかった。
俺たちは彼の名前を忘れない。

ありがとうオグ、小倉隆史。
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# | 2005/12/27 21:21 | VFK | Comment (0) Trackback (0) |
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